ひぐらしのなく頃に業 原作準拠で考察 綿騙し編その3
「基本は原作”解”までと同じ世界で、梨花が舞台を全て知っていることだけが異なる」という前提で疑問や考察をまとめてみました。
物語の時系列順にイベントを並べ、気になった描写にコメントを入れてあります。
6/19(日) 綿流し
圭一・詩音・鷹野で祭具殿に侵入
- 通常通り、鷹野による鬼隠し・綿流しについての語りが始まる
- 従来は怒った羽生により中断されて退出するが、今回は羽生がいないため継続
- オヤシロ様像の頭が割れていたことが発覚
- これは『業』特有のものだろうか?
- 羽生が存在しないことと関係がある?
沢に降りる富竹・鷹野
- 圭一達を付いて来させない鷹野。何か意図がある?
魅音に問い詰められる圭一
- 「鷹野さんと富竹さんに会わなかった?」
- 通常ここでは詩音に会わなかったかを聞かれるだけであり、富竹や鷹野のことは翌日に(魅音の振りをした)詩音から問われる内容
- これは魅音が「4人が一緒にいた目撃情報」だけでなく「富竹・鷹野の逃走」を聞いたために起こったイベントであり、2人の逃走はこの直前のタイミングということが分かる
- この魅音はまだ詩音ではないだろう。「既に詩音が魅音を監禁などして、服を奪い成り代わっている」とは考えづらい
- ただし、魅音であれば「圭一の身を心配したり注意を促す」のが自然に思えるが、ここでは問い詰めるだけ
大石に問い詰められる圭一
- こちらも富竹・鷹野の逃走により通常より1日早まっている
- 「富竹・鷹野は祟りを起こす何者かに追われて逃走した」と考える大石は、同じく狙われうる圭一を餌として泳がそうとしている
帰宅後、詩音から電話
- 富竹・鷹野に会わなかったかを聞かれるが、やはり1日早い
- 園崎本家(魅音宅)からの電話であり、『目明し編』と同様の状況なことが伺える
- 「詩音の振りをする魅音」という線もあり得る?この詩音は「魅音も知り得る情報」しか語っていない
「お姉をうまく誤魔化せたかなと心配になりまして」
「私たち4人入ったじゃないですか」
「その後みんなで歩いて、石段の辺りで別れましたよね」
- 石段で4人が目撃されたことは大石も語っている通り
- しかし魅音が詩音を騙っている場合、詩音の服を着る意味は皆無であり、やはりこれは詩音で間違いないだろう
富竹・鷹野の逃走の様子
- 詩音によると、2人は祭り関係者の駐車場から軽トラを奪って逃走した
- 突発的な状況と考えられるが、一方で恐らく鬼騙し編と同じ流れであり、「誰かの強い意志」によって起こっているイベントと推察できる
- 絵を見る限りでは鷹野にも余裕ぶった様子はなく、鷹野が富竹を騙しているようには見えない
- 「鷹野が富竹の説得に応じ山狗から逃げるため」と考えることは可能?
6/20(月)
村長の行方不明を知る圭一
- 原作から考えると村長に危害を与えるのは詩音しか居ないが、これも1日早い
- 園崎邸で富竹・鷹野の死を知った『目明し編』と違い詩音は祭り会場で2人の逃走を知ったはずであり、詩音が当日に会場で村長へ相談したためと考えられるか
- その場合この魅音は詩音の可能性が高いだろう
学校で村長の行方不明を聞く梨花
- 惨劇を回避できなかったために落ち込んでいる
- 梨花は昨夜に知らされていなかった?
- 富竹・鷹野の軽トラによる逃走も梨花は知らない可能性がある?
- 村長の行方不明から梨花がそう思い込んでいるだけであり、実は詩音は発症していないという線もあるか
- 梨花は惨劇を避けられず自暴自棄になっている
- 舞台裏を知らなかった『綿流し編』『目明し編』ではこの状況からでも圭一を励まして惨劇に挑んでいたが、全てを知っているために諦めた?
- ただし『鬼騙し編』では富竹の行方不明を知った後も部活を楽しんだり圭一を励ましたりしていた
- つまり「富竹の行方不明」でなく「村長の行方不明(=詩音の発症)」で絶望している?
- 目が赤いのはどんな意味がある?
梨花のセリフ考察
「そんな間抜けな例え話をしてくるとは思わなかったわ」
- 『綿流し編』でも圭一から同じ話があったはずだが忘れている?
- メタ的だが、こらは視聴者を驚かせるための演出としてのセリフと考えられるため深読みしない方が良い?
「いいのよ別に、あんたは何も心配しなくて」
「あんたが何を心配してもしなくても、もう全て終わっているわ」
「今年の祟りも、この世界も、あんたも私も全部ね」
- 終わっている=もうどうにもならない状況
- 富竹の死や詩音の発症を確信しているようだ
「私の奉納演舞を大人しく見ていれば良かったのにね」
「ダメよ、入っちゃいけない場所に」
「それも、綿流しの日に入っちゃうなんて」
- 「圭一が奉納演舞を見ていれば惨劇は防げた」という意味でなく、自暴自棄から圭一に当たっているだけだろう
「富竹の死体がまだ見つかっていないのは珍しいけれど」
「あの二人ももう死んでいるわ」
「詩音はまだ生きてるはず」
- 素直に読めばこの詩音は部長の魅音のことだろう。”フレデリカ”は本来の名前として魅音をこう呼ぶことがある
- 「今日学校に来たのは魅音であり、詩音は本当に生死も分からない状態」というのを梨花が知っての発言という可能性もなくはないが少し強引か。
「もっとも、それがあんたにとって幸運なことかどうかは知らないけどね」
- これも「魅音の生死が圭一に与える何か」を思っての発言でなく、単に自暴自棄による八つ当たりだろう
考察まとめ
梨花が自身の死を回避するために何かを起こしていたとして、富竹が行方不明となったこの状況を既に「終わった世界」と表現している。
もし梨花が富竹・鷹野の軽トラでの逃走を知れば従来との違いから何か希望を抱きそうなものだが、梨花にとってそれは全くの想定外であるために「まだ死体が見つかっていない」程度にしか捉えていない。
ではこの逃走は何によって引き起こされたものだろうか?梨花以外に従来とは違う意思が働いているのだろうか?
また祭り当日の富竹の様子も合わせると、梨花は富竹に何も知らせていないことが推察できる。
鬼騙し編で「絶対に未来を取り戻す」と意気込んでいた割に梨花は何もしていないように見えるが、カケラの世界から干渉できる範囲は限られているのだろうか?(例えば目が赤いモードの時のみ?)
同じ富竹の行方不明を知った後の状況として、『鬼騙し編』では圭一を励ましたのに対し『綿騙し編』では自暴自棄になった点が読み解くヒントになりそうか。